● 1 京に入り立ちてうれし。
→ 京に入り込んでいくのでうれしい。
● 2 家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。
→ 家に到着して、門に入ると、月が明るいので、とてもよく様子が見える。
● 3 聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。
→ 聞いていたよりもいっそう、お話にならないほど壊れ傷んでいる。
● 4 家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。
→ 家の管理を任せておいた人の心も、荒れてしまっていることだ。
● 5 中垣こそあれ、ひとつ家のやうなれば、望みて預かれるなり。
→ 隔ての垣根はあるけれど、一つの家のようであるので、望んで預かっていたのである。
● 6 さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。
→ そうはいうものの、ついでがあるたびに、心づけの品も絶えずとらせてきた。
● 7 今宵、「かかること。」と、声高にものも言はせず。
→ 今夜は、「このありさま(はあまりにひどい)」と(みんなに)大きな声で文句も言わせない。
● 8 いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
→ (隣人は)とても薄情に思われるけれど、お礼はしようと思う。
● 9 さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。
→ さて、池のようにくぼんで、水のたまっている所がある。
● 10 ほとりに松もありき。
→ ほとりに松もあった。
● 11 五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。
→ 五年か六年のうちに、千年も過ぎてしまったのだろうか、半分はなくなってしまっていたのだった。
● 12 今生ひたるぞ交じれる。
→ 新しく生えたのが交じっている。
● 13 おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。
→ 辺り一面が、すっかり荒れてしまっているので、「ああ」と人々は言う。
● 14 思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、
→ 思い出さないこととてなく、昔を思って恋しい中でも、
● 15 この家にて生まれし女児のもろともに帰らねば、いかがは悲しき。
→ この家で生まれた女の子がいっしょに帰らないのだから、どんなに悲しいことか。
● 16 船人もみな、子たかりてののしる。
→ 同じ船でいっしょに帰ってきた人々もみな、子どもが集まって大声で騒いでいる。
● 17 かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、
→ こうしているうちに、やはり悲しいのに堪えきれないので、
● 18 ひそかに心知れる人と言へりける歌、
→ そっと心の通じ合っている人と詠みかわした歌、
● 19 生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
→ (この家で)生まれた子さえも(土佐の地で亡くなり)、いっしょに帰ってこないというのに、私の家に小松が生えているのを見ることの悲しさよ。
● 20 とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
→ と詠んだことだ。それでも満足しなかったのであろうか、またこのように(詠んだ)、
● 21 見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
→ 今は亡き女の子が、千年の齢を保つという松のように、いつまでも生き長らえていて、見ることができるならば、(あの)遠い(土佐国での)永遠の悲しい別れをしただろうか、いや、しないで済んだろうに。
● 22 忘れ難く、口惜しきこと多かれど、え尽くさず。
→ 忘れ難く、残念なことが多いけれど、書き尽くすことができない。
● 23 とまれかうまれ、疾く破りてむ。
→ 何はともあれ、早く破り捨ててしまおう。