名作案内第7回 芥川と「ぼんやりとした不安」について 

 芥川龍之介といえば誰もが知っている作家である。そしてまた、彼が「ぼんやりした不安」により自殺したことも、多くの人が知っているであろう。
 ただ、この「ぼんやりした不安」と言う言葉は、家族に残した遺書ではなく「或旧友へ送る手記」(久米正雄に宛てたと手紙とされる)に書かれている言葉なのである。

 


 

 『或旧友へ送る手記』
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎めない。……

 


  

 ところで、この「ぼんやりした不安」とは何であろうか? もちろん、これは推測にしか過ぎないのであるが、一般的に2つの側面が述べられる。一つは「狂人になることへの恐怖」である。
 実は、芥川はもともと新原敏三とフクの長男として生まれたのであるが、両親の厄年の子ということで母の実家である芥川家に里子として出されていた。ところが実母フクは、龍之介の生後8カ月ほどで突然発狂してしまう。一説には長女の急死が原因とも言われ、現在における精神分裂症であったようだ。実母の発狂の結果、龍之介はそのまま芥川家の養子となってしまう。そして芥川は実母に対して、いわゆる母親に対する愛情や親しみというものは感じることがなかったようだ。

 


 

 『点鬼簿』
僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。 (中略) こう云う僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。何でも一度僕の養母とわざわざ二階へ挨拶あいさつに行ったら、いきなり頭を長煙管で打たれたことを覚えている。しかし大体僕の母は如何にももの静かな狂人だった。

 


  

 芥川はその後成長するにつれ、その母親の発狂と言う遺伝子が自分の血に流れていることを徐々に意識し、それが芥川の心の闇を形成することになるのである。
 この「いつ自分が発狂するかもしれない」という不安は、芥川の晩年の作品に、さまざまな形で書かれている。

 


 

 『河童』
 これはある精神病院の患者、――第二十三号がだれにでもしゃべる話である。彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。彼の半生の経験は、――いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと両膝をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……

 


 

 『或る阿呆の一生』
     二  母
 狂人たちは皆同じやうに鼠色の着物を着せられてゐた。広い部屋はその為に一層憂欝に見えるらしかつた。彼等の一人はオルガンに向ひ、熱心に讃美歌を弾ひきつづけてゐた。同時に又彼等の一人は丁度部屋のまん中に立ち、踊ると云ふよりも跳ねまはつてゐた。
 彼は血色の善いい医者と一しよにかう云ふ光景を眺めてゐた。彼の母も十年前には少しも彼等と変らなかつた。少しも、――彼は実際彼等の臭気に彼の母の臭気を感じた。
「ぢや行かうか?」
 医者は彼の先に立ちながら、廊下伝ひに或部屋へ行つた。その部屋の隅にはアルコオルを満した、大きい硝子の壺の中に脳髄が幾つも漬つかつてゐた。彼は或脳髄の上にかすかに白いものを発見した。それは丁度卵の白味をちよつと滴らしたのに近いものだつた。彼は医者と立ち話をしながら、もう一度彼の母を思ひ出した。
「この脳髄を持つてゐた男は××電燈会社の技師だつたがね。いつも自分を黒光りのする、大きいダイナモだと思つてゐたよ。」
 彼は医者の目を避ける為に硝子窓の外を眺めてゐた。そこには空あきびんの破片を植ゑた煉瓦塀の外に何もなかつた。しかしそれは薄い苔をまだらにぼんやりと白ませてゐた。

 


 

 『遺書』
 今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かも知れない。僕もあらゆる青年のやうにいろいろの夢を見たことがあつた。けれども今になつて見ると、畢竟気違ひの子だつたのであらう。僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じてゐる。

 


 

 このように、直接的に「いつ自分が発狂するかもしれない」という不安はが書かれている作品もあれば、「必ずなくなるスリッパ」や「透明な歯車」という象徴的な表現で不安を書くこともあったが、その根底に、母親の発狂という影響があったのはまちないないようである。
 
 さて、「ぼんやりした不安」のもう一つの側面として述べられるのは、プロレタリア文学の台頭である。
 そもそも芥川龍之介の文学観は『地獄変』に見られるような「芸術至上主義」と呼ばれるものである。それまでの「私小説」のような「者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説」を嫌い、「生活と芸術は相反するものであり、生活と芸術を切り離すべきだ」という考えをもち、さらにそれは「芸術は芸術そのものを目的とするべきである」という理想に行きついたのである。

 


 

 『地獄変』
 その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、――何と云ふ不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸に組んで、たゝずんでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました。
 しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳そかさがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、不可思議な威厳が見えたのでございませう。

 


 

 『或阿呆の一生』
彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇たたずんだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下みおろした。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は一行のボオドレエルにも若しかない。」
 彼は暫く梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。……

 

 これに対し、プロレタリア文学は、芥川の晩年にあたる、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、個人主義的な文学を否定し、社会主義思想や共産主義思想と結びついた小説形式である。芥川にすると、これは、社会主義思想や共産主義思想の宣伝のために「小説」という形式を使用しているように感じ、芸術のための芸術と言う純粋性を侵すものとして、自分の思想基盤が揺るいだのであろう。
 ただし問題は、この「思想基盤が揺らぎ」そのものが芥川の「ぼんやりした不安」を導いたわけではないということだ。
 実は、芥川自身は、むしろこのプロレタリア文学をできるだけ理解しようと努めた。

 


 

 『プロレタリア文学論』
 こゝではプロレタリア文学の悪口をいふのではない。これを弁護しやうと思ふ。しかし私は一般にブルヂヨア作家と目されてゐる所より、お前などが弁護する必要がないといはれるかも知れない。(中略)
 私が文壇においてプロレタリア文学の叫びは三四年来耳にするのであるが、私の目する所をもつてすれば私達の胸を打つプロレタリア文学なるものは未だ嘗て現れないやうであり、又同時にプロレタリア文学は誰の人によつても未だ形ちをもつに至らざる処女地のやうなものであると思ふ。私達今の作家の多くが所謂ブルヂヨア的である故にこれから新しい文学を樹立せんとする新人は大いにプロレタリア文学の処女地を開拓すべきであらうと思ふ。いゝものはいゝのである。プロレタリア文学の完成を私は大いに期待するものである。

 

 このように、自分を「ブルジョア文学」と揶揄するプロレタリア文学に対して、芥川は優しいまなざしを向け理解しよういと努めたのだが、しかし彼の不幸はこの先にあったのだ。
 芥川龍之介のこれまでの半生は、権力的なもの、流行的なものを忌み嫌い、世間の風潮に反するように対峙してきた。「芸術」と「生活」を全く切り離し、俗世間的なものをその作品から遠ざけてきた。そのような芥川にしてみると、「庶民大衆の生き様の中にある助け合い志向の共働性の意義を見いだそうするプロレタリア的思想」は、かって自身が俗物としてあるいはまた下賤として退けてきた世界であり、そうした庶民の心根の中に光を見いだしこれを受け入れるとなれば、営々と築き上げてきた自身の思想的スタンスを大きく変えねばならないことになるのである。そしてさらに、彼の名声を高めていた「繊細かつ凝縮された技巧派的文体」は、かえってそのような「庶民大衆の生き様」を書くには不似合いであり、むしろ邪魔になって、プロレタリア的思想の大衆の息づかいを書くことができなかったのである。
 このような社会的状況の変化に、自らの変化が追い付けない悩みを「ぼんやりとした不安」と書き綴ったともう一つの側面とする考えもある。

 ただ、いずれにせよ、推論でしかないのだが・・・

 それでも、芥川龍之介が、稀有の才能を持った、素晴らしい作家であるという点は、誰もが認めるところであろう。

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時習館ゼミナール/高等部
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