名作案内第6回 太宰治の文体について 

 一般的に「太宰治」の文体というと、「読点が多く、延々と文が続く」というイメージがあるようだ。
確かに、彼の代表作である「斜陽」「人間失格」を調べて見ると、句点が少なく読点が多いという、太宰のよく言われる一般的文体イメージが見られる。

 『人間失格』
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞のはかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、「可愛い坊ちゃんですね」といい加減なお世辞を言っても、まんざらからお世辞に聞えないくらいの、わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、「なんて、いやな子供だ」とすこぶる不快そうにつぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
 文字数 421字
読点数 26
句点数 3

 『斜陽』
スウプのいただきかたにしても、私たちなら、おさらの上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプをすくい、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルのふちにかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、つばめのように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端せんたんから、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見わきみなどなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事も無いし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂いわゆる正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれども、私の目には、とても可愛かわいらしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実、お飲物は、口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作むぞうさにスプウンをあやつる事が出来ず、仕方なく、あきらめて、お皿の上にうつむき、所謂正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。
 文字数 581字
読点数 26
句点数 5

 このように、調べてみれば、「句点が少なく読点が多い」という特徴が数字的にもあらわれている。
ただ、面白いのは、これらの代表作と同じように「句点が少なく読点が多い」、しかも同じ一人称の語りでありながら、雰囲気が全く違う小説も太宰は書いているのだ。

 『女生徒』
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっとふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。
 文字数 401字
読点数 49
句点数 3

 「女生徒」の場合は、「斜陽」や「人間失格」と同様の特徴を持ちながらも、全く別の文体になっている。
本来ならば、句点が少ないために、息苦しく重くなりがちな文体を、読点を置く位置と、文字数、そして若い女性の語り口で、軽快でリズミカルな文体にしているのは、彼の才能だろう。
さらに彼は、「句点が少なく読点が多い」という文体ではなく、逆の「読点が少なく句点が多い」という文体も書いているのである。

 『走れメロス』
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたのシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿はなむことして迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。
 文字数 397字
読点数 19
句点数 19

 また「駆込み訴え」では、走れメロス同様の逆の「読点が少なく句点が多い」文章ながら、これも全く異なる文体となっている。

 『駆込み訴え』
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、ひどい。酷い。はい。いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中のかたきです。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所いどころを知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月ふたつきおそく生れただけなのです。たいした違いが無い筈だ。人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。それなのに私はきょうまであの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなに嘲弄ちょうろうされて来たことか。ああ、もう、いやだ。堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。
 文字数 402字
読点数 13
句点数 31

 このように、太宰治は、読点や句点を使いこなし、変幻な文体を作ることができた作家と言えよう。
 

 小説を読む楽しさは、そのストーリー性や主題だけにあるのではなく、このような文体そのものの楽しみもあるのです!

moriyama について

時習館ゼミナール/高等部
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