第13講 千葉大学入試問題(2009年)完全解説

 第11講の講義 を読んだら、さて、千葉大学の入試問題に挑戦してみましょう!

 問題文は以下のリンクからどうぞ! (リンク先が見られない場合はご連絡ください!)

 千葉大学入試問題(2009年度第1問)

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 どうでしたか? 内容そのものは意外に理解できたのではないでしょうか?

 では、設問の解説に行きます。

(一)
【解答】 ア=しい イ=花鳥 ウ=不慮 エ=ちんじ オ=極致

(二)
【解答】 ①=下 ②=上 ③=主 ④=述
【解説】 ①と②は空欄②の直前の「包摂」という語に注目する。 ③と④は空欄③直後の「立てられ得る」と「名詞的実体」に注目する。

(三)
【解答】 自分が前もって考えなかったこと
【解説】 「わが」=「自分が」 「はからは」=「取り計らう」=「前もって考える」 「ざる」=「ず」=「~ない」 最後に「こと」を補って考える。

(四)
【解答】 知覚や認識の対象にならないこと。
【解説】 第2段落第4文に「山や川や草木のそれぞれは、具体的個物として知覚や認識の対象となりえた」と書いてあるが、一方で第2段落第5文で「『自然』が、普遍的対象概念として形成されるには至らなかった。」と書いてある。すなわち、「事物としては存在していても、名前がないので、その存在を知覚・認識できない」という意味である。

(五)
【解答】 日本人にとって「もしも」という仮定法的な心の動きを示し、予測不可能な事態を示す「自然」という語は、は西洋人が考える合法則性・規則性あるものである「自然」という語の反対の性質を意味するものであり、伝統的な西洋的自然観からは理解できないものであるから。
【解説】 西洋人にとっての「自然」とは、第2段落第2文にあるように「合法則性・規則性としてとらえられ」るものと書いてある。また、 日本人にとっての「自然」とは、第5段落第5文にあるように「『もしも』という仮定法的な心の動き」を示すものであり、合法則的・規則的な性質ではない。

(六)
【解答】 日本人にとって自然は「もしも」という仮定法的な心の動きを促すものであり、常に不測の事態を想定して、接しなければならないものであるから。
【解説】 西洋人にとっての「自然」が、第2段落第2文にあるように「合法則性・規則性としてとらえられ」るものであるならば、「自然」は常に人間の前に安定した姿を見せ、安心して見られるものと言える。一方で、日本人にとっての「自然」が、第5段落第5文にあるように「『もしも』という仮定法的な心の動き」を示すものであるならば、「自然」は人間の前で不測の事態をもたらすこともあり得るので、人間は安心してそれを見ていることはできない。

(七)
【解答】 日本の庭園は、自然をありのままに表現するのではなく、鋭敏な鑑賞能力を有する人のみに対して、自然の本質を象徴的に示すという手法を持つものであるということ。
【解説】 第6段落第6文「イギリス式庭園が本来の自然のコピーとして、不特定多数の人々のために手軽な代用的自然を提供する『公園』であるのに対して、日本の庭は、そこに表意されている自然の真意を鋭敏に感じ取る主体の側の感受性を期待して作られるものであって、したがって当然のことながら、鑑賞能力を有する少数の人だけのため」という部分に注目する。

 それほど難しくはない問題です。
 まずは、しっかりと問題文の内容を捉え、その後設問で求められているものをしっかりと把握し、丁寧に答えましょう!
 
 

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