Updates from 1 月, 2012

  • 心理

    nakazawa 2011 年 9 月 28 日 6:33 PM | 0 パーマリンク

    一人の人について

    考えてみると、

    その人が今までに

    何度胸騒ぎを

    感じたことだろうか。

    しかし我々は、

    胸騒ぎの後に

    何も起こらなかった場合に、

    そのことを記憶していることは

    ほとんどない。

    この事は既に

    心理学者によって

    指摘されている。

    ごきげんよう

    人の心理を

    ・・・

    私です

    直感で陥りやすい誤り

    よくある問題であるが、以下の問題に答えてほしい。

    ある高校のクラスには40人の生徒がいます。
    
    その中で、誰かと誰かの誕生日が
    
    一致する可能性は何パーセントでしょう?

    この問いに対し多くの人が10% 程度と答えた。

    しかしながら、この答えは 90% となる。

    確かに、自分とA の誕生日が一致する確率は1/365

    同様に自分とB の誕生日が一致する確率も 1/365となる。

    したがって、自分と39 人の生徒の誕生日が

    一致する確率は 39/365であり、

    これは10% 程度である。

    ここで気をつける必要があるのは、

    A とB の誕生日が一致する確率も 1/365 だということである。

    つまり、自分と誰かの組み合わせは39 通りに過ぎなくても、

    任意の2 人の組み合わせは膨大な数となるのである。

    実際に、 40 人から任意の2 人の組み合わせは、

    以下の式で求めることができる。

    また、40 人のグループの中に

    2人以上誕生日が一致する確率 P は、

    全員の誕生日が一致しない確率を求めて、

    1 から引くことで求まる。

    この問題例が示していることは、

    人間は着目した事例の少なさに注意を向けても、

    その背景を見逃すことが多い。

    そして、このバイアス

    不思議現象が実在するという

    信念につながるのである。

     
  • 予知夢

    nakazawa 2011 年 9 月 28 日 5:00 PM | 0 パーマリンク

    それは昨晩の

    夢の出来事

    公園の近くに飛行機が墜落し

    炎上した夢を見た

    知り合いがそれに巻き込まれ

    ひたすらと泣いた夢

    なんとも不吉な夢

    予知夢でなければ良いのだが

    やれやれ

    おかげで

    今朝は朝から

    気分が晴れない

    空は晴れているんだが

    ごきげんよう

    ま、これからっしょ

    私です

    で、以前、

    数学の調べ物をしている際に

    こんな記事を見つけた

    人は夢を見る(最近では動物も夢を見ることが証明されつつある)。

    このため夢判断、予知夢などオカルト関連では盛んに利用される一つである。

    (「夢を見ない」人は、単に「夢を覚えていない」だけである。)

    人は起きている間、

    見たことなど多くの情報を脳の中に記憶し、

    寝ている間にその記憶を整理する。

    この記憶の整理中に再生された映像は、夢に出てきやすい。

    この記憶の中には、未来予測も含まれている。

    たとえば、日常で無意識のうちに未来を予測したことが記憶に残っていて、

    記憶の整理の過程で夢として見てしまうことがある。

    したがって、予知夢とは人の記憶から作り出したものにすぎない。

    ※ 夢を見るのは、起きているときと同じような脳波を示すレム睡眠の時である。
    その間に断続的に何回も夢を見ている。
    レム睡眠の時、記憶の脳である海馬と視覚情報を司る視覚野が
    活発に働いていることがわかっている。

    このため、予知夢を見る可能性も確率で求めることが可能である。

    ただし「明日テストで失敗する」程度のありふれた予知夢ではなく、

    「知っている人の夢を見た」日に

    偶然その人が亡くなるような予知夢の可能性を考える。

    • 1. 夢に出てくる可能性のある人は約 100人
    • 2. その人を今後50 年に1 度だけ夢に見る
    • 3. 50 年後には半数の人は亡くなっている

    これら仮定のもとで、菊池聡氏(信州大学)は以下のように確率を求めた。

    • 1. 今夜、知り合いの中の特定の1 人の夢を見る確率は、仮定2 より
      • 1/(365×50)=1/18250

    • 2. 今夜、その人が亡くなる確率は仮定3 より
      • 1/(365×50) x 1/2 = 1/36500

    • 3. 今夜、ある人の夢を見てその日にその人が亡くなる確率は、1、2より
      • 1/18250 x 1/36500 = 1/666125000

    • 4. その日に知り合いの誰かが亡くなりその人を夢に見ていた確率は、3と仮定1 を合わせて
      • 1/666125000 x 100 = 1/6661250

    日本のどこかで予知夢現象が報告される確率は、

    このような現象を報告できる人口を8千万人として次式で計算できる。

    1/6661250 x 8千万 = 12.01人

    さらに、1 年間に日本のどこかで誰かが報告することは、

    以下の人数ほど起こり得る。

    12.01 x 365 = 4384人

    「人が死ぬ」という予知夢でさえ、

    1 年で4000人以上の日本人が体験している。

    ただし、「知り合いの身を案じていた」

    「知り合いの死が近いことを知っていた」

    場合は一般的な事柄であり、この限りではない。

     
  • なぜ数学なのか

    nakazawa 2011 年 9 月 9 日 12:30 PM | 0 パーマリンク

    なぜ数学を学習するのか

    人間は進んで苦しい体験をしようとはしない。

    子供に「好きなものを好きなだけ食べろ」と言えばジュースやハンバーグばかりをえんえんと食べ続けて結局は健康な成長ができないのと同様に、学生さんに「自主的に勉強せよ」と言えば、歯ごたえの無い概説・評論的なことばかり選んでしまい、結局は知的に脆弱なまま卒業してしまう人が多いようだ。

    別に「今の高校生は子供だ」というわけではなく、人間とはそういうもの。よほど確固とした動機がなければ、苦しい道を進んで選ぶのは大変なことだ。

    高校での勉強は無駄なのかというと、事実、高校で学ぶほとんどが実際の生活の中ではほとんど役に立たない。

    これは多くの人が断言するところであり、実際自分自身もそう感じている。ならば高校や中学・大学での勉強は全くの無駄なのかというと、そうでもない。

    どんな高校や、大学でもやはり学習に勤しんできた人は、そうでない人に比べて、ものごとの捉え方に余裕があって柔軟だ。

    ここから類推すると、学習で獲得すべき知的能力とは、ものごとの捉え方であると考えられる。既知・未知を問わず、様々な対象を、自分の力と自分の言葉で、観察・整理・類推・体系化・帰納・演繹・抽象化・評価する能力だ。

    ところで、多くの学生たち(数学を苦手にしている)が口をそろえ、数学は将来全く役に立たない!と言っている。

    では、なぜ数学が高校や中学での必修科目になっているのか。

    算数における四則演算は、買い物や貯蓄やローンに必要なのは当然だが、高校や大学で専門的に学ぶ数学は、そんなものからは遥か遠くに離れて、完全に抽象論理の世界での知的活動であり、数学とは浮世離れした学問の代名詞のように言われることもある。

    しかしながら、前述した、「ものを捉える能力」のうち、観察と評価を除く全ての能力を鍛える場として、数学以上に最適な分野はない。 そんなに数学が素晴らしいなら、高校や大学をぜんぶ数学科にしてしまえばいいじゃないか、ということになるが、人には得手・不得手があるし、現実的な学問を推進・維持する必要も厳然として存在するので、そういうわけにいかないのは当然のことなのだ。

    それに、数学だけでは、現実のものごとを「観察」したり、いろんな現実的な尺度で「評価」することができない。

    しかし、少なくとも、若者の教育機能としての数学は、やはり再評価されるべきではないだろうか。 数学は純粋論理であり抽象的思考であるから、それに対して「それが何なんだ」と思うのは人間の一般的な感情だろう。その気持ちが数学の学習において障害になる。しかし、強調したいのは、学んだ内容が、直接そのまま、現場の応用に供するというものではないということ。あくまで、役立つのは「ものごとの捉え方」。

    そう言ってしまうと、よく言われる「数学は論理的思考の訓練」というやつか、と思われてしまうが、数学はそれだけではない。数学が提供する個々の理論が、ものごとの解釈・説明に関して、非常に具体的かつ強力に働くこともある。

    物理学とその周辺分野である気象学や工学ではそういう例が無数にある。しかも面白いことに、全く別の現象と思われることに対してほとんど全くおなじ数学的な理論があてはまるということが多い。

    数学の意味は、まだある。数学と物理学には、人間の通常の日常感覚ではまったく理解することも想像することもできない対象が現れる。分子や原子・電子といったミクロの世界の支配則である量子力学や、宇宙の構造を支配する相対性理論は高度に抽象化された数学で裏付けられている。

    そもそもこのような世界は我々の非日常的なことであり、日常感覚が通用しないのは当たり前で、実際、「宇宙は曲がった空間」だの、「状態とは無限次元の複素ベクトル空間」だのといった非日常的な数学理論でこれらは説明され、数学なしでは一歩たりとも前に進めないのです。

    つまり、人間の日常感覚というチープな経験では絶対に獲得することができないような想像力を、数学によって獲得することができるのです。

    このことは、若者に2つの非常に大事な教訓をたたき込むことになる。「我々が日常感覚で想像できることは世の中のごく一部である」という謙虚な姿勢と、「日常感覚で想像できないことでも、論理をたどれば理解できるし、それによって自分の想像力は日常を離れて飛躍できる」という自信だ。

    前にも書いたように、数学は「観察」とか「評価」までは教えてくれない。これらも論理を基盤に持つが、論理以外の部分も重要である。

    例えば植物を育てる場合、「観察」はとても大切な行為となる。その作物が良い状態にあるのか、光・水・肥料はそれぞれ足りているか、次にいつごろ施肥や水やりをすれば良いか、そういうことを判断するのに、観察力はとても重要となる。ものを設計・製造するときも、観察力は重要になってくる。

    観察には、集中力や持続力、記憶力、判断力が必要だ。観察を含めて、丁寧に誠実に、手を動かして勤勉に仕事をすることを学ぶには、現実のものを対象にした訓練が必要となる。それには実験や観測といった要素の多い学問が非常に有効だ。「評価」については、人間社会の論理や価値観を知らねばできない。経済的な価値のみならず、信用や安全、連帯感、さらには芸術性や冒険心ということまで評価するには、人間に対する基本的な理解が必要となってくる。

    これらを学ぶには、歴史や地理、文学、スポーツなどが必要だ。しかし、強調したいのは、こういうことに対しても、数学のもつ論理性は重要だし不可欠であるということ。複雑な状況が入り組んでいるときに、背反する条件や価値観を論理的に整理することは、観察や評価そのものではないが、観察や評価にとって不可欠な論理操作となる。

    我々が何かをなすとき、その仕事で直接要求される知識や技能は限定的であっても、それを高い品質で行うには、全人的な能力、すなわち人としてのトータルの能力が必要なのだ。

    部屋の掃除を例にとっても、掃除機をかける・ほうきをはくといった行為は、手足を使えるなら誰でもできるが、塵やほこりの性質を考えて、たまりやすい場所を認識し、手順を考えて、効率良く行うには、観察力や判断力が必要となってくる。部屋の中のものの価値や置き場所の意味を理解しなければ、大切なものを壊したり、なくしたりしてしまうかもしれない。

    掃除機が調子悪くなったら、その原因を推理しなければならないし、そもそも大切な実験機器が動いているときに、掃除機をかけてノイズを発生させたり電源のブレーカーを飛ばす恐れはないか、といったことにまで気を配るには物理(電気)の素養も必要だ。

    遊んでいる人間が果たしてそのことに気づいているかが問題で、大部分の高校生及び中学生は目に見える内容のみ信じ、目に見えないことや自分にプラスにならないことに対してさほど関心がないので、たとえこちら側が強めに伝えたとしても本人にはその声はなかなか届かないことだろう。

    結論としては本人の自覚次第。

    いかに今自分が行っている事、またはこれから自分が行うべきことに重要性を見出せるかどうかだと思う。

    その重要性に気付かないままだと

    何も進歩はありえない。

     
  • NOTE

    nakazawa 2011 年 7 月 23 日 10:02 PM | 0 パーマリンク

    GO GO サマー♪

    おっ ぉっ お~♪♪

    とリフレイン

    PVがなかなか良い

    はまってしまう

    塾生と一緒に

    「PV、良いよね!」

    ちょっと盛り上がった

    ごきげんよ~おっ ぉっ お~♪

    私です

    受験生に

    「ノートにまとめた方が良い?」

    と、質問をされた

    答えはもちろん

    「Yesだ」

    化学ならば、

    質量保存の法則や

    倍数比例の法則など

    発見者とその法則の内容を

    表組みでNOTEにまとめておいた方が良いだろう

    センター試験やセンター模試で

    意外と法則名と発見者名が出題される

    数学の場合は、

    ノートにまとめるというか、

    問題数を多く解き

    経験値をあげていくこと

    とにかく量を増やして

    解法パターンを体に覚えさせていってほしい

    まぁ、ちょっとMっ気がないと辛いかもしれないが

    数学好きな人はMっ気が多いのかもしれない・・・

    そんな私は

    どちらだろう?

     
  • 面白い

    nakazawa 2011 年 6 月 3 日 5:21 PM | 0 パーマリンク

    とあるカクテルバーで

    2人の数学者が、

    世間の人は

    数学をどれくらい知っているか

    言い合っていた。

    1人は、

    「誰も数学をほとんど知らないっ!」と言う。

    もう1人は、

    「いやいや、かなりの人が数学をよく知っている!」と言う。

    「20ポンド賭けてもいい」

    と1人目は言いながら、トイレに立った。

    その際にもう1人が、ウエイトレスを呼んだ。

    「君へ10ポンドあげるから、

    連れが戻ってきたら

    僕の質問にこう答えてくれ。

    『3分の1エックス3乗』ってね。

    「分かった?」

    「『サンブン・ノイチェックサン・ジョ』

    って言えば10ポンドね?」

    「違う。3分の1エックス3乗だ」

    「サンブン・ノイチエッ・クサン・ジョウ?」

    「むむ、まぁ、それでいいよ!」

    1人目の数学者が戻ってくると、

    ウエイトレスがやってきた。

    2人目が聞いた。

    「ねぇそこの君、

    エックス2乗を積分すると?」

    「3分の1エックス3乗」

    とウエイトレスは答えた。

    そして向こうに歩き出したかと思うと、

    振り返り、ニコっと笑いながら

    こう付け足した。

    「プラス積分定数」と。

     
  • お寿司と数学

    nakazawa 2011 年 5 月 9 日 2:19 PM | 0 パーマリンク

    新潟へ行った時

    刺身がとても美味しく

    もう一度

    刺身定食を食べに行きたいなぁと

    思っている

    私です

    ごきげんよう

    ところで、

    魚を使った料理で有名なのは

    お寿司

    sfd

    寿司と言えば

    回転寿司

    もしあなたが

    100円の回転寿司に行くのなら

    3人、5人、7人で行くと

    ちょうど割り勘で

    支払いが可能ですぞ

    というのも

    1皿100円だと

    消費税込で

    105円

    そして105という数字は、

    105=3×5×7

    で成り立っている

    したがって、

    3人か5人、7人で行くと

    ちょうど割り勘での支払いが

    可能なのです

    もちろん、

    105人で行っても

    大丈夫

    問題なく割り勘出来ますぜぃ!

    と言いつつも、

    私は、1人で

    回転寿司に行きますがね

    前は、頑張って

    1人焼肉にも挑戦したみたぜぃ

     
  • 小学生問題

    nakazawa 2011 年 5 月 6 日 11:12 AM | 0 パーマリンク

    こんな問題も

    解けないなんて

    恥ずかしいですぞ

    恥ずかしながら

    ごきげんよう

    私です

    もちろん

    私は・・・

    数字のトリックに
    惑わされてしまって
    間違ってしまったのは
    内緒ね

    さぁ、

    では・・・

    次の問題を解きなさい

    6÷2(1+2)

    答えは

    ずっと下にスクロール↓

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    答え 9

    なんでも

    答えを1

    と考える人が

    結構いるらしいんだってさ

     
  • nakazawa 2011 年 4 月 22 日 4:18 PM | 0 パーマリンク

    1=2の証明を探していたら

    いろんな証明方法があった

    ごきげんよう

    1=2な気分の

    私です

    証明①

    3 ÷ 2 = 1 あまり 1

    5 ÷ 4 = 1 あまり 1

    2つとも答えが同じなので

    5 ÷ 4 = 3 ÷ 2

    両辺に4を掛けて

    5 ÷ 4 × 4 = 3 ÷ 2 × 4

    整理すると

    5 = 6

    両辺から4を引くと

    5 - 4 = 6 - 4

    1 = 2

    証明②

    0 = 0

    0に何を掛けても0なので

    1 × 0 = 2 × 0

    邪魔な0をとって

    1 = 2

    証明③

    log21 = log31

    よって、2=3

    両辺から1を引いて

    1=2

    証明④

    「お前の物は俺の物。俺の物は俺の物」

    というジャイアンの言葉がある。・・・①

    よって、

    お前の物 = a

    俺の物 = b

    とすると

    a = bb = bとなる。

    しかし、社会的ルールに則ると、

    お前の物≠俺の物であるから、

    a≠b・・・②

    よって、異なる2数が等しくなる

    という現象が発生する。

    ゆえに、1=2

    証明⑤

    卵とご飯を合わせると

    卵かけご飯ができるので

    卵 + ご飯 = 卵×ご飯

    ここで、

    卵かけご飯に

    ご飯粒はたくさん入っているが、

    卵は通常一つなので

    1 + ご飯 = 1×ご飯

    ご飯 = ご飯 + 1

    両辺からご飯-1を引いて

    1 = 2

    ところで、なぜ

    1=2

    を調べようと思ったのか

    謎ではあるけれども

    でも、この世界には

    1=2になる事象も存在するのですよ

     
  • 円周率

    nakazawa 2011 年 4 月 22 日 3:54 PM | 0 パーマリンク

    ある日、

    何気なく

    ネットで

    円周率

    を調べていたら

    なんと・・・

    まぁ・・・

    円周率

    π=3

    になってしまっている

    そんな変な証明ページを発見

    [証明]

    未知数xをまずこのように設定する。

    x=\frac{\pi +3}{2}

    これを変形すると

    2x = π + 3

    次に両辺にπ − 3をかけると

    2x(π − 3) = (π + 3)(π − 3)

    であり展開したのち

    さらに移項して

    9 − 6x = π2 − 2πx

    となる。ここでx2を両辺に加えると

    9 − 6x + x2 = π2 − 2πx + x2

    であり、変形すると

    (3 − x)2 = (π − x)2

    となる。これを解くと

    3 − x = π − x
    π = 3

    となり、命題が証明された

    ま、この証明が正しいなら

    もうずっと、

    ずぅ~っと前から

    円周率は3

    であるはずなんですがね

     
  • ノーベル数学賞

    nakazawa 2011 年 4 月 19 日 6:47 PM | 0 パーマリンク

    ノーベル賞に

    なぜか数学賞がないのは

    ご存知ですか?

    これには諸説あり

    はたしてどの説が正しいのか

    いまだに分かっておりませぬ

    私なら、

    ノーベル賞ではなく

    よく頑張ったで賞で十分

    よく頑張ったで賞が

    欲しい

    私です

    頑張っていないようで

    意外と無理して頑張ってます

    ごきげんよう

    ノーベル賞に

    数学賞がない理由

    それは・・・

    (説1)

    数学賞を設ければ、

    若干のフランス人を別にすると、

    殆ど全部ドイツ人に授けることになって、

    カイザーをにんまりさせるばかりだから、

    よした方が良い

    と、ノーベルに相談された

    スエーデン第1の数学者ミッターク・レフラーが返事した。

    (カイザーは、時のドイツの皇帝でみんなから嫌われていた)

    (説2)

    ノーベルと数学者レフラーは、

    ある貴婦人の恋適であった。

    恋に破れたノーベルは、

    仕返しにわざと数学賞をはずして、

    レフラーが賞を受けられないようにした。

    (説3)

    ノーベル賞は、

    具体的な貢献に与えられることを、

    ノーベルは望んだ。

     
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