電池は、なぜ電池と呼ぶのか
化学の授業をしていて、ふとそんな疑問を抱いた
「電気」の「池」だから電池なのだろうか。
イタリア人の自然哲学者でもあり、物理学者の
Anastasio Volta(1745年―1827年)
によって最初に発明された「ボルタ電池」では、
電解液に硫酸という名の液体を用いているので、
確かに池と言えば池なのだ。
でちょっと調べてみた。
以下引用。
電池は英語ならばcellかbatteryである。
これらの元々の意味はそれぞれ「小室」「殴打」だった。
cellは判りやすい。電池の姿を見れば、それはまさしく電気の小部屋である。
では何故「battery」が電池の意味になったのだろうか。
「殴打」の意味から「砲撃」という意味が派生し、
更に大砲部隊など構成単位の意味まで拡張された。
この一揃いの構成単位という意味から転じて野球用語のbatteryが出来たのだろう。
電池も正極と負極の一揃いで構成されるので、
batteryと呼ばれるようになったのだろうか。
野球と電池とは関係がないので、
電池batteryからこの野球用語が派生したとは考えられない。
その逆はもっとあり得ない。
電池を「battery」と言い出したのはフランクリンBenjamin Franklinらしい。
言い出した1748年には、まだボルタの電池は発明されていなかった。
ボルタの電池が発明されたのは1800年で、
1790年にフランクリンは死んいる。
フランクリンがbatteryと呼んだのは静電気を貯めるだけのライデン瓶のような物だろう。
Franklinによって現在でも使われている電気に関する用語が色々作られているplus、minusや
charge(充電)、discharge(放電)などを電気に関する用語として当てはめた。
batteryのその一つである。
大砲部隊という意味しかなかったbatteryを「電池」と言う意味に使ったのだろうか。
複数のelectrical cellを繋げて一揃いの構成にして使うことからbatteryとしたのか、
電池から火花となって電気が放出される現象があたかも砲撃のようだからbattery
となったのかは判然としない。
言えるのは「電池」と「battery」という言葉の成り立ちが全く違うということである。
西洋で発明されたbatteryはその外観などからそう名付けられたが、
それを表す東洋の言葉はおそらく結果的ではあるが
その物の本質が語源となっている。「電解液の池」のつもりだったが、
「電気そのものが貯まった池」とも解 釈することが出来る。
外来語をそのまま単に片仮名に直して取り入れる現代の日本語の風潮なら
「電池」は間違いなく生まれなかった言葉であろう。